フィルムカメラがメルカリでそこそこ安いって聞いて、なんかノスタルジックな写真が撮れそうだし、休みの日の趣味にもなるし、通り過ぎていくだけの風景にも飽きてきたし、ランニングコストはかかりそうだけど、フィルムで写真撮りはじめてみました。
早速、一本フィルム撮り終わって最後にフィルム巻き戻す(手動でハンドル回さないと取り出せない!)時にミスって、フィルム裂けるってゆうね。スムーズに取り出せれば今ごろ僕の手元にはその写真があったはずなのに…。うまくいけばカメラ屋さんがなんとか修復して現像できる(らしい)から明日あたりカメラ屋に持って行って相談してみるけど…。
とはいえ、こういう手間や遅れを楽しめることがフィルムの良さ。デジタルみたいにすぐに結果が分かったり、ずっとデータが残ってたりしない。特に、どんな写真ができたかわかるまでの時間は大きな違い。

現代は、ITが発達して、ピアトゥピアだったり自動化だったり、あらゆるコミュニケーション単位がミクロ化されて、瞬間的になっていってる時代。実際、このフィルムカメラを買ったメルカリもそういうサービスの一つだしね。
僕はこういう潮流を消費の「速度化」と呼んでる。速度化っていうのは、個人間のやりとりが速くなるって意味もあるけど、そもそも距離と時間の比自体が人間の認識レベルを超えるくらいに極大or極少化するって意味も含んでる。
で、そういう速度化の時代の流れのなかで、スローなコミュニケーションの味を噛み締めたいわけです。あまりに簡単かつ素早くインスタ映えする写真が撮れてしまうなかで、足を止めて、ファインダーを覗き、ダイヤルを回し、ピントを合わせて、シャッターを切る。数日後に出来上がる画像に思いを馳せながら。

自分の技術的な失敗も、たまたま入っちゃったノイズも、写真の一部。スノウで動物になるのもいいけど、自然のノイズも魅力的になりうる。
こういう写真を愛せるってことは、自分の思い通りにならない、アンコントロールな世界を愛せる寛大で自由な人間であるってことにならないかね。
ゆうてもなるべく思い通りの写真が撮れるくらい、カメラを扱えるようにはなりたいから、これから精進していかねば。