信楽のミホミュージアムニューマン展、会期ぎりぎりになったけど行ってきた。ミホミュージアム自体も初。ずっと行きたい行きたいと思ってたけどやっと行けた。

メインは、バーネット・ニューマンの「十字架の道行き」の連作。キリストの受難を14の場面で表すキリスト教の主題を踏まえた抽象絵画群。そのときキリストが叫んだという「なんぞ我を見捨てたもう」が副題になっている。
わりと親切に解説とかもしてくれる展示で、ニューマン本人の言葉とかも色んなところに引用されてた。本人の言葉のなかで、「作品との出会いは、人との出会いのようである。それは、(少しずつ深まるものではなく、)その瞬間の全面的な出会いなのである」(大意)ってのがあって、なるほどーと思ってた。というか、この展覧会の色んな側面での意味がこの言葉に集約されるんじゃないかなと思う。
たとえば、ニューマンはこの作品群を起源への問いとしても位置づけてて、それはつまり、この作品群との出会いが過去・現在・未来において自分にとっての起源として機能する、というようなことじゃないかと思う。正直言って、この抽象画がキリストの受難とどういう関係を持つかはわからないけど、というか、そういう情報描いてないんだからわかるはずもないんだけど、何もわからなくても、この絵画が抽象的であるがゆえに僕はあらゆるところでこれに似た何かに出会って、この絵画を自らの経験の中で反復するんだと思う。それはこの作品に表現されたものの反復でもあると思うし。そういう経験の積み重ねの中で、自分の起源を探そうとしたとき、もはやこの絵画は僕の礎の一部になっていて、僕の起源の一部になってる。そういう経験を開示してくれるのが、この作品なんだと思う。